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日本語教育史の流れ

区分1 社会・文化・地域 ・ 日本語教員試験 基礎試験の出題範囲

日本語教育史は、年号の暗記に見えて、実は「誰が誰に、どういう動機で教えたか」の移り変わりを追う分野です。ここを一本の流れとしてつかんでおくと、細かい年号は物語の中の目印として自然に残ります。この記事では四つの時代に分けて通しで整理します。

まず四つの時代に分ける

日本語教育史は、次の四つに区切ると見通しが良くなります。区切りの根拠は、いずれも「教える主体が変わった年」です。

①〜1895年——学ぶ側の国が主体だった時代。日本は教えていません。②1895〜1945年——日本人が日本語を教える時代。植民地・占領地への拡大と重なります。③1945年〜——戦後の再出発。教育機関と学会が整い、国際交流と留学生受け入れが軸になります。④1990年〜——入管法改正以降。国内に暮らす外国人への教育が主題になり、2019年の推進法、2023年の認定法へつながります。

試験では「この出来事はどの時代か」を取り違えさせる選択肢がよく出ます。年号そのものより、この四区切りのどこに置かれる話かを先に判断できるようにしておくのが実戦的です。

〜1895年 — 学ぶ側が主体だった時代

この時代の日本語教育は、日本の外で、相手国の必要から始まっています。日本が国策として教えたわけではない、という点が第一のポイントです。

朝鮮王朝は通訳を養成する機関として司訳院を置き、1414年に日本語(倭学)を課しました。初期の教材が『伊路波』、17世紀に成立した代表的な教材が康遇聖の『捷解新語』です。教材名と国・時代の対応はそのまま出題されます。

16〜17世紀には、布教のために来日したイエズス会の宣教師が日本語の文法や敬語を体系的に記述しました。ロドリゲスの文典がよく知られています。宗教的な動機から始まった記述研究、という位置づけです。

ロシアではピョートル大帝が日本語学校を設けました。教師になったのは漂流民のデンベイ(伝兵衛)です。背景にあるのは南下政策で、これも「相手国の必要」から生まれた日本語教育です。

幕末に来日したシーボルトは、出島に医師として着任しました。宣教師や外交官とする選択肢が誤答として並ぶので、肩書きは正確に覚えておきます。

この節の落とし穴「日本が海外に日本語を広めた時代」と読み替えてしまうと全問落とします。教えていたのは相手国側で、動機は通訳養成・布教・外交という実務上の必要でした。

1895〜1945年 — 日本人が教える時代へ

1895年を境に、日本人が日本語教師として教える時代に移ります。日清戦争後の領土拡大にともない、統治下の地域で日本語教育が制度として行われるようになりました。

その後、朝鮮・中国からの留学生の受け入れが進み、戦時中には東南アジアの占領地にも日本語教育が持ち込まれます。この時期の日本語教育は国策と不可分であり、そこが戦後の再出発と切り離して理解すべき理由です。

同じ時期、アメリカでは戦争遂行のために米海軍日本語学校が設けられ、日本語のできる将校が養成されました。「日本の外で、軍事上の必要から日本語が教えられた」例として押さえます。

1945年〜 — 戦後の再出発と機関の整備

敗戦後、GHQの指令により戦時中の日本語普及を担った日本語教育振興会が解散します。ここが戦後の起点です。以後、学会・国際交流・研究の各機関が順に整っていきます。

年表として押さえるべきは次の並びです。設立年そのものより順序を問う出題が多いので、前後関係で覚えるのが有効です。

できごと
1945昭和20GHQの指令により日本語教育振興会が解散
1961昭和36日本語教育研究会が発足
1972昭和47国際交流基金設立。所管は外務省(文部科学省ではない)
1976昭和51国立国語研究所に日本語教育センターを設置
1977昭和52日本語教育研究会が社団法人日本語教育学会
1984昭和59日本語能力試験(JLPT)の第1回を実施
2013平成25日本語教育学会が公益社団法人に移行
頻出の引っかけ国際交流基金の所管は外務省です。文部科学省・文化庁と混同させる選択肢が定番で、JICA(国際協力機構)やJASSO(日本学生支援機構)との役割の違いもあわせて問われます。

教師養成と留学生政策 — 二つの流れ

戦後史のもう一本の軸が、教師養成留学生政策です。どちらも段階を踏んで進んでおり、その段階の区別が出題されます。

教師養成は、「必要だと提言した年」「養成学科の設置を提案した年」「試験を始めた年」が別々である点が要注意です。ひとまとめに覚えると取り違えます。

できごと
1976昭和51文化庁の調査会が、日本語教員の能力を測る検定の必要性を提言
1983昭和58中曽根内閣で留学生10万人計画を提唱
1985昭和60文部省の調査研究会が、国立大学への養成学科の設置を提案
1987昭和62日本語教育能力検定試験を導入
2003平成15留学生10万人計画を達成
2008平成20留学生30万人計画を策定
2019令和元留学生数が30万人を超える

1990年〜 — 国内に暮らす人への教育へ

1990年の入管法改正で在留資格「定住者」が設けられ、日系の人々が就労の制限なく暮らせるようになりました。これを境に、日本語教育の主題が留学生から生活者へ広がります。

生活者としての外国人」という言い方は2006年に公の文書で使われ始め、翌2007年には文化審議会国語分科会のもとに日本語教育小委員会が置かれます。国の審議会で「日本語教育」を冠したものは戦後初でした。

そして2019年、日本語教育の推進に関する法律(推進法)が成立します。国・地方公共団体・事業主の責務を定めた基本法で、対象は労働者に限りません。2023年には日本語教育機関認定法が成立し、認定制度と登録日本語教員という国家資格が生まれました。

できごと
1990平成2入管法改正。在留資格「定住者」を創設
2006平成18「生活者としての外国人」の語が公の文書で使われる
2007平成19文化審議会国語分科会に日本語教育小委員会を設置
2012平成24外国人登録制度を廃止(1990年ではない)
2019令和元日本語教育推進法成立。同年、在留資格「特定技能」開始
2023令和5日本語教育機関認定法成立(施行は2024年4月)
登録日本語教員のなり方試験に合格しただけでは登録できません。日本語教員試験の合格に加えて実践研修の修了が必要で、そのうえで登録して初めて登録日本語教員になります。ここは選択肢で必ず崩されます。

試験に向けた押さえどころ

第一に、四つの時代の区切り。ある出来事が「学ぶ側が主体の時代」か「日本人が教える時代」かを即答できるようにします。

第二に、所管官庁。国際交流基金は外務省、海外の日本語教育も外務省、生活者施策は文部科学省や自治体が関わる、という対応です。文化庁国語課が担ってきた日本語教育の所掌は文部科学省へ移っており、資料の年次によって記述が違う点にも注意します。

第三に、似た年号の区別。1976年の提言と1987年の試験導入、1983年の10万人計画と2008年の30万人計画、1990年の入管法改正と2012年の外国人登録制度廃止——このあたりは対で覚えると崩れにくくなります。

年表は眺めるだけでは定着しません。下のボタンから区分1の練習問題に進んで、実際に選択肢の形で問われてみてください。

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