シュミット(Schmidt)が提唱した、インプットが習得に取り込まれる(インテイクになる)ためには、学習者がその言語形式に意識的に気づく(noticing)ことが必要だとする主張。
浴びるように聞いていても、注意が向いていない形式は素通りしてしまう。「気づき」は明示的な文法説明とは限らず、フォーカス・オン・フォーム、教師の言い直し、自分の発話と正しい形とのギャップへの気づきなど、さまざまな形で起こる。
教師が会話の流れを止めずに正しい形で言い直すリキャストは、活動を壊さない利点がある一方、学習者に単なる相づちと受け取られて訂正だと気づかれにくいという弱点が指摘される。これは気づき仮説の観点から説明される典型的な事例である。
毎日日本語のドラマを見ている学習者が、ある日「〜てしまった」が後悔の気持ちを表す場面でよく使われることに気づき、それ以後その形がよく耳に入るようになる。それまでも同じ形は聞いていたはずだが、注意が向いていなかったために取り込まれていなかった。気づき仮説は、この「気づいて初めて取り込みが始まる」という流れを重視する。
読み物の中の「〜ば」の部分だけを太字にして配る、学習者の作文と正しい文を並べて違いを探させる、といった工夫は、気づきを促す手立てである。教師が会話の中で言い直すリキャストも気づきのきっかけになりうるが、学習者が相づちと受け取ると、訂正だと気づかれないまま終わることがある。
読んだ用語を1冊で引き直す・体系で押さえ直すなら。