日本語だけを見ていると、日本語の特徴は見えません。ほかの言語と並べて初めて「日本語らしさ」が輪郭を持つ——これが言語の構造一般を学ぶ理由です。ここでは、言語をどう捉えるかという枠組み(一般言語学)と、言語どうしを突き合わせる方法(対照言語学)を、日本語教育の現場につながる形で通して見ていきます。
近代言語学の出発点にあるのがソシュールです。彼は言語活動を、社会の成員が共有する体系としてのラングと、個人が実際に行う個別の発話であるパロールに分けました。研究の対象になるのはまずラングのほうで、個々の言い間違いや癖ではなく、その背後にある約束事を見るという態度がここで定まります。
語と意味の結びつきについては、音のかたち(シニフィアン)と意味内容(シニフィエ)の対応に必然性がないとしました。これが言語の恣意性です。犬をイヌと呼ぶ理由は音の側にはなく、その言語共同体がそう決めているからにすぎません。ただし擬音語・擬態語は音と意味に結びつきが感じられるため、恣意性が弱い領域として扱われます。「すべての語が完全に恣意的である」と言い切る選択肢は行きすぎです。
もう一組の区別が、ある時点の状態を切り取って見る共時態と、時間に沿った変化を追う通時態です。日本語教育で扱うのは基本的に共時態の記述ですが、音便や敬意逓減のように、通時的な変化を知らないと説明できない現象もあります。
言語を扱う分野は、見る層によって分かれます。音を物理的・生理的に扱うのが音声学、その音が意味の区別に果たす役割を扱うのが音韻論。語の内部構造を扱うのが形態論、語をつないで文を組み立てる規則を扱うのが統語論。意味そのものを扱うのが意味論、文脈の中での意味の働きを扱うのが語用論です。
「音声学と音韻論は同じもの」とする選択肢は誤りで、[p]と[b]という音の違いを記述するのが音声学、それが日本語で語を区別する(パンとバン)という事実を扱うのが音韻論です。同じように、「太郎は花子に本を渡した」が文として成り立つかを見るのが統語論、その文が皮肉として働くかを見るのが語用論になります。
これらに加えて、社会との関係を見る社会言語学、心理的な過程を見る心理言語学、言語どうしを比べる対照言語学、言語の分布や系統を扱う歴史言語学・系統論があります。分野の名前と扱う対象の対応は、そのまま選択肢の入れ替えとして問われます。
| 分野 | 扱うもの |
|---|---|
| 音声学phonetics | 音そのもの。調音・音響・聴覚の面から記述する |
| 音韻論phonology | その言語で意味の区別に関わる音の体系。音素・異音・拍 |
| 形態論morphology | 語の内部構造。形態素・派生・複合・活用 |
| 統語論syntax | 語を並べて文を作る規則。語順・格・従属節 |
| 意味論semantics | 語や文が持つ意味。上下関係・対義・多義 |
| 語用論pragmatics | 文脈の中での意味。発話行為・含意・ダイクシス |
世界の言語を、主語(S)・動詞(V)・目的語(O)の並び方で分けるのが語順類型です。日本語・韓国語・トルコ語などはSOV型、英語・中国語などはSVO型、アラビア語などはVSO型にあたります。数のうえではSOV型とSVO型が大半を占めます。
語順類型は、他の特徴とまとまって現れる傾向があります。SOV型の言語は、修飾する要素が主要な要素の前に来て、助詞にあたるものが語の後ろに付く(後置詞)ことが多い。日本語で「机の上に」と言うところを、英語では「on the desk」と前置詞で言うのがその例です。動詞が文末に来る、修飾語が被修飾語の前に来る、といった日本語の特徴は、ばらばらの癖ではなく一つの型の現れとして説明できます。
日本語は語順が比較的自由だと言われますが、これは格助詞が働きを示すためで、述語が文末に来るという点は動きません。「日本語は語順が完全に自由である」という選択肢は誤りです。
語の内部の組み立て方による分類が形態的類型です。語形が変化せず語順や助詞的な語で関係を示す孤立語(中国語・ベトナム語)、語根に接辞を次々に付け足していく膠着語(日本語・韓国語・トルコ語)、一つの語形変化が複数の文法的意味をまとめて担う屈折語(ラテン語・ロシア語・アラビア語)、そして一語が文に相当するほど要素を取り込む抱合語(イヌイット語・アイヌ語)の4つが基本です。
日本語が膠着語だというのは、「読ま+せ+られ+なかっ+た」のように、意味の単位がはっきり切れる接辞として並ぶからです。屈折語では要素の切れ目がはっきりせず、一つの語尾が人称・数・時制をまとめて表します。この違いは、活用を「表で覚える」指導が日本語で成立しやすい理由でもあります。
分類は程度の問題であり、どの言語も純粋に一つの型ではありません。英語は屈折語から孤立語的な方向へ変化してきた言語として説明されます。「言語はいずれか一つの型に必ず属する」と断定する選択肢には注意します。
| 類型 | 特徴と例 |
|---|---|
| 孤立語中国語・ベトナム語 | 語形が変化しない。語順と機能語で関係を示す |
| 膠着語日本語・韓国語・トルコ語 | 語根に接辞を次々に付ける。切れ目がはっきりしている |
| 屈折語ラテン語・ロシア語 | 一つの語形変化が複数の文法的意味をまとめて担う |
| 抱合語イヌイット語・アイヌ語 | 一語が文に相当するほど要素を取り込む |
多くの言語に共通して見られる性質を言語普遍性といいます。グリーンバーグは多数の言語を調べ、「ある特徴があれば別の特徴もある」という形の含意的普遍性を数多く示しました。VSO型なら前置詞を持つ、といった記述がこれにあたります。一方チョムスキーは、人間が生まれつき持つ言語の枠組みとして普遍文法を想定しました。前者は言語を集めて帰納的に見つけるもの、後者は理論的に想定するもので、由来が違います。
対になる概念が有標性です。より基本的で制約が少なく、頻度が高く、習得も早い側を無標、特別な条件を伴う側を有標と呼びます。日本語では、肯定に対する否定、単数に対する複数、能動に対する受動が有標の側にあたります。
この考え方は習得研究にも取り込まれ、無標のものは習得されやすく、有標のものは習得されにくい、母語の無標の特徴は転移しやすいといった予測に使われます。「有標=難しい、無標=易しい」と単純に置き換えるのではなく、基本かどうかという位置づけの話だと押さえます。
二つ以上の言語を突き合わせ、共通点と相違点を明らかにするのが対照言語学です。系統関係を明らかにする比較言語学とは目的が違い、対照言語学は系統が異なる言語どうしでも成り立ちます。日本語と英語、日本語と中国語を比べるのは対照であって比較ではない、という区別が定番の出題点です。
日本語教育では、学習者の母語と日本語を対照することで、つまずきが予想される箇所を洗い出す道具になります。「は」と「が」の区別を持たない言語の話者、冠詞のある言語の話者、動詞が文頭に来る言語の話者では、難所の出方が変わります。
ただし、対照によって誤りをすべて予測できるわけではありません。相違点が必ず誤りを生むとは限らず、逆に似ているところでかえって混乱が起きることもあります。相違点の大きさから誤りを予測しようとした対照分析仮説が修正を迫られ、実際の誤用を集めて分析する誤用分析、そして学習者独自の体系を捉える中間言語研究へ進んだのがこの流れです。対照言語学そのものが否定されたのではなく、予測の道具としての限界が示されたのだと理解します。
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