区分2「言語と社会」でいちばん多く問われるのが、一つの言語の内側にあるゆれの扱い方です。ここでの基本姿勢は一貫していて、方言も共通語も、あらたまった言い方もくだけた言い方も、どれかが正しくて他が崩れているのではないと考えます。この記事では、変異がどこから生まれ、それをどの用語で切り分けるのかを一本の線でたどります。個々の用語は用語集で確認できるので、ここでは用語どうしの関係を押さえてください。
「日本語」と一口に言っても、話し手が変われば、場面が変われば、実際に口から出る形は違います。社会言語学はこの違いを「乱れ」や「誤り」としてではなく、それぞれに体系をもったまとまりとして捉えます。その単位が言語変種です。英語の variety の訳語で、地域の方言も、放送で使われることばも、友人どうしの雑談も、すべて対等な変種として並びます。
変異を生む軸は大きく3つあります。どこで話されているかによる地域の違い、だれが話しているかによる社会的属性の違い、どんな場面で話しているかによる場面の違いです。とくに後ろの2つは混同されやすく、前者を「使用者による変種」、後者を「使用による変種」と呼び分けて整理します。
この分野の問題は、この枠組みを裏返した選択肢で作られます。「変種のうち一つだけが本来の日本語で、他はその崩れた形である」「方言は共通語が乱れたものである」といった前提に立つ記述は、まず誤りだと考えてかまいません。変種どうしの関係は優劣ではなく機能の分担である、というのが出発点です。
| 変異の軸 | 何によって決まるか |
|---|---|
| 地域による変種地域方言 | 話されている土地の違いによる変種。いわゆる「方言」で、語彙・音声・文法・アクセントのすべてに現れる |
| 話し手による変種社会方言/使用者による変種 | 年齢・性別・職業・所属集団・社会階層など、話し手の属性に結びついた変種。語彙の面から見たものが位相語 |
| 場面による変種スタイル・使用域/使用による変種 | あらたまり度、相手との関係、話しことばか書きことばかなど、使用の場面によって選ばれる変種 |
地域差の大きい言語では、出身の違う人どうしが通じ合うための変種が必要になります。ここで必ず対にして扱われるのが共通語と標準語ですが、この2つは同じものではありません。違いは、それが規範として掲げられたものか、現実に使われているものか、という点にあります。
標準語は、教育や施策を通じて人為的に整えられた、理想として掲げられる変種です。明治以降の日本では、国語の統一という課題のもとで東京のことばを土台に形づくられ、学校教育と放送を通じて全国へ広げられました。その過程では、方言を矯正すべき誤りとみなす指導が各地で行われ、方言札のような懲罰的な手段が使われた地域もあります。標準語という語には、こうした上から定めるという性格がつきまといます。
これに対して共通語は、方言の違う話し手どうしが実際に通じ合うために使っている現実のことばを指します。理想の姿ではなく、現に成立している運用の姿を捉える語です。そのため戦後の言語研究では、規範性の強い「標準語」という呼び方を避け、「共通語」を用いることが一般的になりました。
実際の使われ方はさらに層をなしています。全国どこでも通じる形のほかに、その地方の中でだけ広く通用する地域共通語があり、話し手は相手や場面に応じてその間を行き来しています。「共通語を身につけると方言が失われる」という単純な図式では、この重なりを説明できません。
方言の分布は、でたらめに散らばっているわけではありません。地図に描くと、意味のある形が現れます。それを説明する原理が方言周圏論です。
柳田国男は『蝸牛考』で、カタツムリを指す語形が近畿を中心にほぼ同心円状に分布していることを示しました。文化的な中心地で新しい語形が生まれ、水面の波紋のように周辺へ広がっていく。すると中心から等距離の地域に、押し出された古い語形が同じ帯として残る——という説明です。ここから、方言の分布は言語の歴史を映しているという見方が導かれます。周辺部に古い形が残るという発想は、方言を「遅れたことば」ではなく資料として読む態度につながりました。
ただし、すべての分布がこの原理で説明できるわけではありません。「いる/おる」「〜ない/〜ん」のように、日本列島が東西で二分される東西対立分布は同心円ではなく、成立の事情が別だと考えられています。
もう一つ、名前が似ていて紛らわしいのが方言区画論です。こちらは日本語の方言を本土方言と琉球方言に大別するというように、方言をどう区切るかを論じる立場で、分布がどうしてそうなったかを説明する周圏論とは目的そのものが違います。試験ではこの2つを入れ替えた選択肢がよく出ます。
標準語教育とメディアの全国化によって、方言はいずれ消えると長く考えられてきました。ところが実際に観察されたのは、単純な消滅ではありませんでした。方言は共通語と接触しながら、新しい形を生み出し続けていたのです。
この動きを捉えるために作られたのが新方言とネオ方言という2つの概念です。井上史雄の新方言は、共通語にはない形でありながら、若い世代ほど使用が多く、その地域で新しく発生・拡大している方言形式を指します。真田信治のネオ方言は、伝統的な方言と共通語が接触した結果、そのどちらでもない中間的な形が生まれたものを指します。前者は新しく生まれて広がっている形、後者は混ざり合って生じた形、という切り分けです。
さらに近年注目されているのが、その方言の話者でない人が、場を和ませたりキャラクターを演出したりするために、一時的に方言らしい言い方を借りる現象です。これを方言コスプレと呼びます。ここで借りられているのは実際の地域社会の言語体系ではなく、メディアを通じて共有されたステレオタイプ的なイメージです。
つまり、生活の道具としての方言と、演出の資源としての方言は、別のものとして分けて考える必要があります。方言が担う役割はむしろ増えており、「方言は衰退する一方である」という前提の選択肢は誤りになります。
| 現象 | 何が起きているか |
|---|---|
| 新方言井上史雄 | 共通語にはない形が、その地域で新しく発生し、若い世代ほど使う。方言=古くて消えゆくもの、という通念を覆す |
| ネオ方言真田信治 | 伝統方言と共通語の接触によって生じた中間的な形。どちらの体系にも属さない |
| 方言コスプレバーチャル方言 | 話者でない人が演出のために一時的に借りる方言。実体ではなく共有されたイメージが資源になっている |
使用者による変種を、とくに語彙の面から捉えたのが位相語です。性別・年齢・職業・所属集団などの違いに応じて使い分けられる語のまとまりを指し、その違い自体は位相差と呼ばれます。幼児語の「ワンワン」、学生や業界の内側でだけ通じる隠語、職業ごとの集団語、若者ことばなどが具体例です。ここでの区別の軸はだれが使うかであり、あらたまり度という場面の軸とは別であることに注意してください。
ところが、位相語として挙げられる形の多くは、実際の使用の記録というより、その集団らしさのイメージを担っています。この性質を正面から取り出したのが、金水敏の役割語です。「わしが知っておるんじゃ」と話す博士、「〜ですわ」と話すお嬢様のように、特定の言葉づかいが特定の人物像を呼び起こす。しかし現実にそう話す博士はほとんどいません。役割語は現実の反映ではなく、小説・マンガ・翻訳といったフィクションの中で受け継がれてきたステレオタイプの体系なのです。
同じ構図は言語とジェンダーにも現れます。日本語では、文末の「〜わ」「〜かしら」と「〜ぜ」「〜ぞ」、一人称の使い分けなどが男性語・女性語として語られてきました。しかし調査を重ねると、女性語とされる形式の使用は若い層で大きく減っており、規範として語られる姿と実際の運用は大きくずれています。現在の研究の中心は、これを生物学的な性差の反映ではなく、社会的・文化的に構築された規範として捉える見方にあります。
この3つは、日本語教育の現場に直接はね返ってきます。教材の会話文が古い性別役割をそのまま再生産していないか、翻訳調のセリフが学習者に不自然なモデルを与えていないか——教材を点検する視点として出題されます。
変種は、ただ存在するのではなく、選ばれて使われます。その選択を社会の側の仕組みとして見るか、話し手個人のふるまいとして見るかで、使う用語が変わります。ここが区分2で最も取り違えの多いところです。
ファーガソンのダイグロシアは、社会の側を見る用語です。一つの社会の中で、演説・報道・教育・書きことばといった公的な場面で使われる高変種(H変種)と、家庭や日常会話で使われる低変種(L変種)とが、機能を分担しながら安定して併存している状態を指します。正則アラビア語と各地のアラビア語口語、標準ドイツ語とスイスドイツ語の関係が代表例です。のちにフィッシュマンは、この概念を系統の異なる別言語どうしの機能分担にまで広げました。
これに対してコードスイッチングは、個人の側を見る用語です。話し手が会話の途中で、相手・場面・話題に応じて言語や方言(=コード)を切り替えることを指します。単語がところどころ混じる借用と違い、文や節といったまとまった単位で切り替わるのが特徴です。そして重要なのは、これが能力の不足による混乱ではなく、相手との距離感や場の性格を示す社会的な意味をもった使い分けだという点です。地元に帰ったときだけ方言に戻る、というのも同じ現象です。
| 用語 | 何を見ている用語か |
|---|---|
| ダイグロシアファーガソン | 社会の言語状態。H変種とL変種が場面ごとに役割を分け合い、世代を超えて安定して併存している |
| コードスイッチング個人の言語行動 | 話し手のふるまい。会話の中で相手や話題に応じてコードを切り替える。切り替え自体が意味をもつ |
ここまでは話しことばの話でしたが、変種は目にも見える形で街に並んでいます。駅の案内板、道路標識、店の看板、掲示やポスターといった、公共空間に表示された文字言語の総体を言語景観と呼びます。
研究では、行政などが設置する公的表示と、商店などが掲げる民間表示に分けて論じられることが多くあります。両者はずれることがあり、公的表示は整備が追いつかない一方、民間表示のほうが実際に住んでいる人の言語を先に映す、といった観察が可能になります。そのため言語景観は、ある地域の多言語化がどこまで進んでいるかを測る指標としても使われます。
日本では、駅名標の日本語・英語・中国語・韓国語という4言語表記が広く見られるようになりました。ただし、表示できる言語の数には限りがあり、話者数の少ない言語は取り残されます。そこで、多言語表記と並んで、語彙と文型を制限したやさしい日本語が災害情報や生活情報で併用されるようになりました。どの言語を、どこに、だれのために掲げるのか——言語景観を読むことは、そのまま言語政策を読むことにつながります。
この記事の流れを、そのまま解答の道具として圧縮しておきます。
①変異の軸は地域・使用者・使用場面の3つ。どの変種にも体系があり、優劣ではなく機能の分担。②規範=標準語/現実=共通語。定義の入れ替えが定番。③方言周圏論=分布の成立の説明(柳田国男・同心円・周辺に古い形)、方言区画論=区切り方の議論。④新方言=新しく生まれて広がる形(井上史雄)、ネオ方言=伝統方言と共通語の中間形(真田信治)、方言コスプレ=演出として借りる方言。⑤位相語=だれが使うかによる語彙差、役割語=フィクションが受け継いだ人物像の言葉(金水敏)、言語とジェンダー=社会的に構築された規範。⑥ダイグロシアは社会、コードスイッチングは個人。⑦言語景観は公的表示と民間表示に分けて読み、多言語化の指標になる。
この7点が言えれば、区分2の変種に関する選択肢はほとんど機械的に切れます。細部は用語集の各ページで確認してください。
1語ずつ短く確認したいときは、用語集のページへ。