「(ら)れる」を用いて、動作を受ける側を主語に立てる表現。能動文の目的語などがそのまま主語になり、対応関係が一対一で取れるものを直接受身という(先生が太郎をほめた→太郎が先生にほめられた)。
これに対し、能動文には現れない人物を主語に立て、その出来事から影響(多くは迷惑)を受けたことを表すのが間接受身(迷惑受身)である(弟にケーキを食べられた/雨に降られた)。所有物や身体部分が対象になる「足を踏まれた」は持ち主の受身と呼ばれる。
英語などの受動態には間接受身がないため、学習者はこれを使えず「弟が私のケーキを食べて困りました」と言い換えがちである。また「られる」は受身・可能・自発・尊敬の4用法をもち、文脈から判別できるようにしておく。
授業の帰りに雨が降り出した話を学習者が「雨が降って困りました」と言ったら、「雨に降られて困りました」という言い方も示せる。「降る」は自動詞なので直接受身にはできないが、間接受身なら、雨という出来事によって話し手が迷惑を受けたことを一文で表せる。「困りました」を言わなくても迷惑の気持ちが伝わる点も示しておく。
「私は先生にほめられた」は直接受身、「私は隣の人にたばこを吸われた」は間接受身、「私は電車で足を踏まれた」は持ち主の受身である。三つを並べて能動文に戻させると、主語になった人物と出来事との関係の違いが見えやすい。間接受身だけは、能動文に戻すと主語の「私」が文から消えてしまうことに気づかせる。
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