クラッシェンの5仮説の一つ。第二言語の知識には、意味のやりとりの中で無意識に身につく習得(acquisition)と、規則を意識的に覚える学習(learning)の2種類があり、両者は別物であるとする主張。
クラッシェンは、実際の流暢な運用を支えるのは習得された知識だけであり、学習した知識が練習によって習得された知識に変わることはないと考えた(ノン・インターフェイスの立場)。
この「学習は習得にならない」という強い主張こそが、後年もっとも批判された点である。明示的な知識が練習を通じて自動化されうるとする立場(インターフェイスの立場)との対立として出題されることがある。
日本のアニメを見て育った学習者が、文法の名前は知らないのに「〜ちゃった」を自然に使いこなしている場合、これはクラッシェンのいう「習得」にあたる。反対に、教科書で「〜てしまう」の規則を覚え、テストでは正しく書けるのに会話では出てこない場合、その知識は「学習」の段階にとどまっていると説明される。
ノン・インターフェイスの立場では、教室でパターン練習をくり返しても、学習した知識がそのまま習得された知識に変わるわけではないことになる。これに対し、明示的に覚えた規則も練習で自動化され、会話で使えるようになると考えるのがインターフェイスの立場である。どちらを採るかで、文法練習の位置づけが変わる。
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