ソシュールによる区別。社会の成員が共有する体系としての言語がラング、個人が実際に行う個別の発話がパロールである。言語学がまず対象とするのはラングのほうで、個々の言い間違いや癖ではなくその背後の約束事を見る。
語の音のかたち(シニフィアン)と意味内容(シニフィエ)の結びつきに必然性がないことを言語の恣意性という。犬を「イヌ」と呼ぶ理由は音の側にはない。ただし擬音語・擬態語は音と意味に結びつきが感じられ、恣意性が弱い領域として扱われる。
ある時点の状態を切り取る共時態と、時間に沿った変化を追う通時態の区別も同じ枠組みから出ている。のちにチョムスキーが立てた言語能力と言語運用の区別と混同しやすいが、ラングが社会が共有するものであるのに対し、言語能力は個人の頭の中の知識を指す点が違う。
学習者が「×きれいかった」と言ったとき、その一回の発話はパロールにあたる。言語学がまず注目するのは、日本語の話者が共有している「ナ形容詞は『だった』で過去を表す」という約束事、つまりラングのほうである。一回一回の発話そのものではなく、その背後にある体系を見るという態度の違いを示す例になる。
同じ動物を日本語では「イヌ」、英語では dog と呼ぶ。音のかたちと意味の結びつきに必然性があるなら、言語ごとにこれほど違うことはないはずで、これが恣意性の例になる。一方、犬の鳴き声を日本語で「ワンワン」、英語で bow-wow と写すのは、言語ごとに違いはあっても実際の音に似せようとしている点で、結びつきが感じられる。
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