アイデンティティは一つに定まるものではなく、複数の帰属が同時に成り立つという捉え方。
「どちらの国の人なの」という問い方は、本人に選べないものを選ばせる圧力になる。とりわけ民族性や母語を否定する言動はその人の存在の否定として受け取られうる。教室でできるのは、どちらかに寄せることではなく複数のまま置いておける場を作ること。
日本で育った子どもが、学校では日本語で友だちと過ごし、家では親と親の母語で話し、親の出身国の親戚の集まりではその家族の一員として振る舞う、という場面が考えられる。どれか一つが本当の自分というわけではなく、それぞれが本人の一部として同時に成り立っている。
教室では、家族の言葉や継承語について紹介する活動を取り入れる、「どこの国の人」と尋ねる代わりに「どんな言葉を使って育ったか」を自由に話してもらう、といった工夫ができる。どちらかの文化に決めることを求めず、複数の言葉や帰属を持つことを学習者の資源として扱う場をつくることが、この捉え方を教室に生かす方法になる。
読んだ用語を1冊で引き直す・体系で押さえ直すなら。