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文化観とアイデンティティ — 「文化が違うから」で説明を終えない

区分1 社会・文化・地域 ・ 日本語教員試験 基礎試験の出題範囲

異文化理解の授業は、しばしば料理や衣装の紹介で終わります。悪いことではありませんが、実際にすれ違いが起きるのはもっと下の層です。そしてすれ違いを「文化が違うから」で説明してしまうと、そこで思考が止まります。ここでは、文化をどう捉えるか(文化観)と、文化間を移動する人が抱えるもの(アイデンティティ)を、順に見ていきます。

氷山モデル — 見えているのはごく一部

文化を氷山にたとえる見方があります。水面の上に出ているのは、食べ物・衣服・行事・芸術といった目に見える部分。しかしそれは全体のごく一部で、水面下には価値観・信念・前提・時間の感覚・沈黙の意味づけといった、はるかに大きな部分が沈んでいます。

これと重なる区別が、大文字の文化小文字の文化です。前者は文学・芸術・歴史・制度など、知識として学ばれる文化。後者は、あいさつの仕方、時間の守り方、断り方といった日々の振る舞いとしての文化です。

日本語教育の現場で摩擦の原因になるのは、ほぼ小文字の文化のほうです。しかもそれは当事者にとってあまりに当たり前で言語化されていない。だから「なぜあの人はああするのか」と同時に「なぜ自分はこうするのか」も説明できない。異文化理解の出発点が自分に気づくことになるのは、このためです。

本質主義と構築主義 — 文化は実体か、それとも過程か

文化の捉え方には、大きく2つの立場があります。本質主義は、「日本文化とはこういうものだ」という固定した中身が存在すると考える立場。構築主義は、文化を人々のやりとりの中でそのつど作られ、変わり続けるものと考える立場です。

本質主義的な見方は、ステレオタイプと結びつきやすい性質をもちます。「あの人は◯◯人だからこう考える」という説明は、本人の事情も、その社会の中の多様さも、時代による変化も、すべて消してしまいます。異文化間教育の議論は、近年構築主義の側へ軸足を移してきました。

研究や教育の視点も3つに整理できます。一つの文化を内側から描く単一文化的視点、複数を並べて違いを見る比較文化的視点、そして文化と文化が接触する場で何が起きるかを見る異文化間的視点。異文化間教育が扱うのは3つめです。比較して違いを並べるだけでは、接触の場で生じる摩擦や交渉、そして変化そのものは捉えられないからです。

「文化で説明する」ことの落とし穴異文化理解教育が陥りやすい問題として、①「異」と「自」の二分法で語ってしまう、②結果としてステレオタイプを助長する、③文化の背後にある力関係に無自覚になる、④何でも文化で説明してしまう、が挙げられます。とくに④は要注意で、経済的な事情や制度の問題、単にその人の好みであることまで文化に帰してしまう誤りです。

接触仮説 — 会えば分かり合える、ではない

異なる集団の人が接触すれば偏見は減る、という考え方を接触仮説といいます。ただし要点は「接触すればよい」ではありません。偏見の低減には条件があるとされます——対等な地位共通の目標集団間の協力、そして権威や制度の支持

条件が欠けた接触は、かえってステレオタイプを強めることがあります。地位に差がある接触、競争関係にある接触、周囲が冷ややかな接触は、「やはりそうだった」という確認の場になりかねません。

この知見は、教室設計にそのまま使えます。多国籍クラスで交流活動を組むとき、席を並べるだけでは足りない。協力しないと達成できない課題を置き、役割に上下がつかないようにし、教師がその活動を支持していることを示す。接触仮説は、抽象的な理論ではなく活動設計のチェックリストとして読めます。

マジョリティ性と特権 — 見えないから、見えない

多数派に属していることで、労せずして得ている有利さがあります。これを特権と呼びます。法律で与えられた権利のことでも、少数派への優遇措置のことでもありません。

自分の言語で役所の手続きができる。名前を正しく読んでもらえる。集団の代表として扱われず、一人の個人として見てもらえる。何か失敗しても「◯◯人だから」と言われない。——いずれもないと困るが、あるときは意識されないものです。

特権の最大の特徴は自覚されにくいことです。だからこそ、多数派の側が自らの位置を問い直す作業が必要になります。異文化理解を「相手を理解すること」だけに閉じず、自分の立ち位置を見ることに開くのは、この理由によります。

アイデンティティ — 斉一性と連続性、そして複数であること

エリクソンに由来する定義では、アイデンティティ自己斉一性(自分は自分だというまとまり)と連続性(昨日の自分と今日の自分がつながっている感覚)から成るとされます。国籍や民族といった書類上の属性ではなく、本人が抱く感覚であることが要点です。

文化間を移動する人にとって、この斉一性と連続性は揺らぎます。言語が変わり、まわりの期待が変わり、これまで当たり前だったふるまいが通じなくなる。適応の困難として現れるものの根には、しばしばこの揺らぎがあります。

そして、アイデンティティは多元的です。複数の帰属が同時に成り立ちます。「どちらの国の人なの」「日本人なの、それとも」という問い方は、本人に選べないものを選ばせる圧力になります。とりわけ、民族性や母語を否定する言動はその人の存在の否定として受け取られうる。

教室でできることは、どちらかに寄せることではなく、複数のまま置いておける場を作ることです。それは特別な活動を組むという意味ではなく、名前を正しく呼ぶ、母語を話す場面を否定しない、代表として扱わない——そうした小さな積み重ねの話です。

試験での問われ方この区分では、①氷山モデルと大文字/小文字の文化、②本質主義⇄構築主義の対比、③接触仮説の条件、④アイデンティティの定義(斉一性と連続性)多元性が繰り返し問われます。事例形式では、多国籍クラスで緊張が生じた場面を読ませ、対応として共通の目標を置く・対話を促すといった接触仮説に沿う選択肢を選ばせる形が定番です。

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