江戸時代後期に来日したドイツ人。1823年にオランダ商館の医師として長崎の出島に着任し、鳴滝塾で医学を教えるかたわら、日本の言語・文化・自然について広範な調査を行った。
帰国後に日本研究の著作を著し、ヨーロッパにおける日本語・日本理解の基礎を築いた一人とされる。日本地図の国外持ち出しが問題となったシーボルト事件でも知られる。
試験では肩書きのすり替えがひっかけになる。宣教師・外交官・言語学者ではなく、来日時の立場は医師である。
出島に着任したシーボルトは、長崎郊外の鳴滝塾で日本人の門人に西洋医学を教えた。門人たちは日本についての調べものをオランダ語でまとめて提出することもあり、シーボルトはそれを日本研究の資料として活用したとされる。教える場が、同時に日本についての情報を集める場にもなっていた。
帰国後にまとめた『日本』(NIPPON)は、地理・歴史・言語・風俗などを扱う大部の著作で、ヨーロッパの日本理解に影響を与えた。日本語教育史では、外国人が日本語・日本文化を研究した流れのなかの一人として位置づけられる。人物を問われたときは、医師としての来日、鳴滝塾、帰国後の著作の三つを結びつけておくと整理しやすい。
読んだ用語を1冊で引き直す・体系で押さえ直すなら。