第二次世界大戦中にアメリカ海軍が設けた日本語教育機関。1941年秋にハーバード大学とカリフォルニア大学バークレー校で始まり、日系人の西海岸からの強制退去を受けて1942年6月にコロラド大学ボルダー校へ移った。暗号解読・捕虜尋問・文書翻訳にあたる語学将校を短期間で養成することが目的だった。
集中的な訓練で口頭運用力を高める方式がとられ、戦後の外国語教授法(オーディオ・リンガル・メソッドに連なる軍隊式の集中訓練)に影響を与えたとされる。ドナルド・キーンやサイデンステッカーら、後の日本研究者を輩出したことでも知られる。
同じ戦時期でも、日本が占領地で行った日本語教育とは主体も動機も逆である。「日本の外で、軍事上の必要から日本語が教えられた例」として位置づけを押さえる。
戦時中のアメリカは、日本の暗号や押収した文書を読み、捕虜から情報を聞き取れる人材を急いで必要とした。そのため、限られた期間に集中して日本語を学ばせ、実務で使える水準まで引き上げる訓練が行われた。目的がはっきりした短期集中型の教育の例として理解しておくとよい。
ここで学んだ語学将校のなかから、ドナルド・キーンやサイデンステッカーのように、戦後に日本文学の研究や翻訳で活躍する人が出た。軍事上の必要から始まった教育が、結果として戦後の日本研究の担い手を育てたことになる。日本語教育史では、戦争が日本の外に日本語の学習者を生んだ例として扱われる。
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