ある集団に属する人々について、単純化され固定化されたイメージ。リップマン(Lippmann)が『世論』(1922)で広めた概念で、複雑な世界を効率よく処理するための認知の枠組みという側面をもつ。
内容が肯定的であってもステレオタイプであることに変わりはない。「◯◯人はまじめだ」のような評価も、個人差を見えなくするという点では同じ働きをする。
感情をともなう否定的な態度が偏見、実際の行動として現れたものが差別で、認知・感情・行動の三層として区別される。この区別の入れ替えに注意。日本語教育では、教材の会話文や役割語がステレオタイプを再生産していないかという観点で問われる。
教師が「この国の学生は時間にルーズだから」と考えて、ある学生の遅刻を最初から当然のように扱ってしまう。一人ひとりの事情を見る前に、集団のイメージで判断してしまうところにステレオタイプの働きがある。理由を本人に聞かないまま扱いを決めれば、学生は自分個人ではなく国籍で見られていると感じることになる。
肯定的なイメージでも同じことが起こる。「漢字圏の学生は漢字の読み書きが得意なはず」と思い込むと、漢字に苦労している学生がいても気づきにくく、本人も「できて当然」と見られることに負担を感じることがある。ほめ言葉のつもりの一言が、相手を集団の一員としてしか見ていないことを示してしまう場合もある。
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